「糖尿病にお酒はいけませんと医者は簡単にいう」とMさんはぼやく。Mさんは断酒が必要な糖尿病歴26年の初老の紳士である。26年も療養していれば、
糖尿病のことなら下手な研修医も顔負けの患者になって不思議はない。
Mさんの言い分はこうである。「ごはんで食べる分を少しカロリー交換するだけだから、お酒を飲んでもいいじゃないか」
確かにお酒はお米からつくるから似たようなものですねといえば、うれしそうにうなずく。
ハムレットほどの深刻さはないが「お酒は断つべきか、控えればよいのか」は当人には大問題なのである。これは古くからの臨床上の論争でもあり、
今日でも主治医によりしばしば意見が異なる。"お酒なんてとんでもない"派から"少しは精神安定のためにはよい"派までさまざまである。
お酒を飲むとつい食事量が増加することが断酒が必要な理由の一つだが、もっと別の医学的な根拠がある。アルコールで摂取したカロリーは同じカロリーの
食物より吸収が速い。血糖値を下げるためにはより多くのインスリンが必要となり、結果的にインスリンの効果が弱くなる現象が観察されている。
このためか経口糖尿病薬の効き目がなくなることがある。さらにはアルコール性膵炎や脂肪肝を起こし、糖尿病を悪化させ、膵臓がんや肝臓がんの頻度を高める。
ただ、断酒には注意がいる。大酒飲みだった人が急に酒をやめると網膜の病変が一気に悪化し、視カが低下した例がある。急激な血糖低下による現象だ。
これは断酒が悪いというのではなく、むしろいかにお酒が高血糖を維持していたかを証拠づける話ともいえる。
一般に、アルコールの許容量は清酒で0.7合、ビールで350ミリリツトル、ウイスキーならシングルで1.5杯、焼酎で0.4合程度とされているが、
この程度で収まるなら患者も医者も悩むことはない。
お酒の消費量は成人1人当たり年間に純アルコール8.8リットル(清酒で1人1日に0.8合強)と戦後最高であり、愛飲家に断酒を宣告するには勇気が要る時代になった。
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