SARS騒動に思う

 今、医学界を浚う話題の一つはSARSです。幸いにして我が国ではまだ発症例は報告されず、世界的にも沈静化の傾向にあるようです。 昔ならば地域に限局して流行した風土病と考えられるこの伝染病も、文明の発達した現代にあって、まさにendemic(地方)からpandemic(世界)へと、絵に描いた様に、 飛行機に運ばれ世界各地に流行が広がって行きました。二十一世紀初の新興感染症ですが、コロナウイルスの仲間と言われる病原体が最近の突然変異で出現した新種なのか、 或いは太古の昔より「何処か」に潜んでいたものが人間の生活圏拡大に伴って接触の機会を広げた結果出現したのか、異論はあるものの、 人間との接触は免疫という防壁が出来ていないために、大きな駆ぎと被害を後に残す結果となりました。 その「何処か」の候補としてハクビシンの名が上がりましたが確証はありません。
 SARSについて今の段階では、感染ルーツ、感染経路、病原性など殆ど解明されておりません。分かっていることは、死亡率は10〜15%程で、 1〜2%のインフルエンザよりかなり高率の恐ろしい伝染病ということです。新興の名のついた第一号のエボラ出血熱(1976年)に始まり、大腸菌O-157、エイズ、プリオン、 ニパ脳炎等々、SARSに至るまで次々と新種の病原体に襲われてきましたが、その間、古顔のインフルエンザも流行を繰り返し、 鳥型という新興変異種まで繰り出してきたことは記憶に新しいかと思います。
 終息に向かいつつある今、最大の関心事は今後の予測でしょう。流行の沈静化はウイルスの消滅を意味しません。 1979年一旦姿を消したエボラ出血熱ウイルスが再びザイールに出現したのは1995年のことでした。ルーツは不明です。 1997年の鳥型香港インフルエンザウイルスの流行は、八十万羽の鶏を殺し、1998年のマレーシアにおけるニパ脳炎ウイルス流行は、ルーツである豚を三週間で九十万頭屠殺したそうで、 共に一応の終息を見ることができました。本当にウイルスの消滅に効果があったかどうか確証はありませんが、結果が手段を正当化します。 SARSはエボラ出血熱やニパ脳炎などと違いインフルエンザの様に人から人へと伝染します。ウイルスは生体内で生き残り、感染を持続する能力も有します。 潜伏感染や持続感染といわれ、再流行の火種になる可能牲も考えられるわけです。インフルエンザとの類似性から、冬期における再燃を危倶する意見もあり、 とにかく油断は禁物です。
 今回の騒動もふくめ、度重なる新興感染症流行は、結局患者の隔離と感染微生物の厳重な管理がもっとも有効な予防手段であることを教えました。 この方策の欠点は時に人権擁護精神と摩擦を起こす事で、殊に、平和な日本はその傾向が強いように思えます。伝染病の侵入あるいは発生は人的一次被害に加え、 大なり小なり、経済・社会生活にも深刻な影響を及ぼし、二次被害を与えます。台湾医師闖入事件における風評被害もそうでした。一次被害を出来るだけ押さえるためには、 公は十分防疫体制を整え、病院を整備し、正確な情報提示を行う必要があり、その際個人の自由もある程度犠牲になることを覚悟しなければなりません。 それが二次被害を可能な限り抑制するために必要不可欠であることは、今回の騒動でもベトナムやシンガポール、後半の中国で立証されています。結果が手段を正当化したのです。
 「防犯に興味を示す日本人は泥棒の被害に遭った人」と語ったのは天然痘ウイルスの専門家で最近アメリカのCDCから帰国した旧友某氏です。 感染症予防研究の最前線から日本を眺めての感想です。五月に入って北京の大流行が明るみにでたこともあってSARSの認識が高まり、 東南アジア一帯から帰国して当健診センターを受診する方々が非常に協カ的になって頂けたことは、今回の騒動が残した大事な学習効果と思います。
                                            宇治武田病院 健診センター
                                                    所長 増田 徹
                                                                       back
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