日本の医療の光と影 |
最近のマスコミの報道を聞いていると、殆ど毎日のように医療ミスを伝えている。それでは、マクロのレベルで、日本の医療はおかしい方向に進んでいるのだろうか。私はそうではないと思う。 医療において、初歩的なミスは実際には以前からあったが、最近のように大々的にマスコミに取り上げられることも少なかっただけの事ではないだろうか。勿論、人の命をお預かりする仕事だから、どれだけ注意しても十分ということはない。見方によると医療行為の開示が進み、どんな結果であれ密室で不問に付す事が出来なくなってきた、ということではないだろうか。 それにしても、ここ数十年間、急速に医療が高度化、複雑化し、看護婦はもとより多数の職種の共同作業が必要になってきているのに、そのコンダクターたるべき医師がコミュニケーションの技術を殆ど会得していないし、またそれの重要性も認識されていない所に重大な問題がある。これらはいずれ医学教育(または初等教育か?)の改善とともに随分変わるものと期待している。私のこのような日本の医療の将来についての楽観論の根拠となる一つの実例を紹介してみよう。 それは、十年余り前からわが国で始まった生体肝移植がすでに千例を越えており、80%という世界的に見て驚異的な成功率を挙げている事実である。 日本ではご存知のように脳死を死と認めるかどうか、という問題で延々と論争しているうちに、脳死移植については世界の潮流から全く遅れてしまった。その間、生体肝移植は緊急避難的な次善の方策として、日本独特の家族愛と高度の医療技術及び、それを認める公的保険医療に支えられて急速に広まった。遅れていたわが国でも脳死移植の方もようやく1997年10月から法的に認められるようになったが、ドナーカードの普及が推定で2.5%と進まず、実施例はようやく10例を越えたところである。一方大変興味があることは、脳死移植が主流である欧米ですら、最近脳死ドナーの不足と脳死肝移植の成績の悪さから生体肝移植をやり始めた、という事実である。 日本での医療がすべて欧米のファッションを真似る必要はなく、日本のおかれた状況の中で、いろいろと工夫を凝らしていくと、それが時には欧米の流儀を越えることもあることを示してくれて居る。 最近は医学に限らず、何でもグローバルスタンダードばやりの世の中だが、日本人は自分達のおかれた独自の問題を、一歩一歩模索して着実に前進を続けていけば、おのずから世界に通用する明るい展望も開けてくるのではないだろうか。 康生会武田病院 名誉院長 神経内科 西谷 裕 back |
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